「合わない人」との違い
この時期は新年度の体制を考えるに当たって、みんなが自分の立場、利益を守ろうとするからギスギスしがち。
昨日、新年度の学年配当なんかを決める偉い人たちの会議があったんだけど、
なかなか意見がまとまらずに時間がかかっていた…。
誰がどこの学年を持つのかって、私の感覚では「子どもの教育にプラスになること」が最優先なんだけど、
「この学年主任とこの先生は合わない」とか、「ここの人間関係は微妙だから…」といった話もチラホラ聞こえてきて複雑。
私も「この先生の考え方には賛成できない」って人はたくさんいるけど、それってある程度許容しながら働くしかないと思うんだよね。
だから、なんとなく「なんでこの人たちとは考えが合わないのだ…」と思ってたら、それは「思考の回路」が違うからだと思った。
私がキライな人たちは、何かにつけて「誰にも文句を言われないこと」を目的に議論を進める。
だから、文句を言われないように無駄だと思う根回しや回りくどい言い方をする。
リスクを取ってでも子どもにプラスになることを…
とか、そんな発想は出てこない。
だって、一番の目的は「責められないこと」であって、子どものためではないから。
そこのゴールが共有できていないから、きっといつも話がかみ合わないんだと気づいた。
でも、この感覚の違いは今までの生育歴とか社会人になってからの経験に裏打ちされてるから、
すり合わせって難しいのよね。きっと。
そう思ったら、価値観の合う人でチームを組んだ方がチームの生産性は上がるのかもしれない…。