日常つぶやきブログ

誰かの役にたつわけでもなく、何かの知識が得られるわけでもありません。自分が日々感じたこと、考えたことをまとめる場所、記録しておく場所としてブログを始めました。

共生社会の実現?

クラスの子が下校中に石を投げた。

 

意図的になのか、偶然なのか、石が当たって置いてあったものに傷がついた。

 

結果的に、誰がやったのかがわかったから、ご家庭で弁償することになったんだけど…。

 

モヤモヤがすごい。

 

今回の件、誰も悪くない。

 

石を投げた子は、そこに石があって、「楽しい!」と思って放り投げてしまっただけ。

傷つけてやろうなんていう悪意はない。(本人に意思確認ができないから多分、としか言えないんだけど。)

 

お家の方も、普段からその子へのしつけや教育を怠っているわけではない。

むしろ、人一倍周囲に気を遣って、迷惑がかからないようにとその都度一生懸命その子にやっていいことと悪いことを伝え続けている。

その姿には毎度頭が下がる。

 

石を投げられた地域の方もすごく優しくて、弁償さえしてくれたらそれ以上のことは望みません、って言ってくれて、

その子のこともお家の方のことも、一言も責めなかった。

 

だけど、お家の方が「本当に申し訳ありませんでした」と頭を下げていて、

その後ろに自分がしたことが全くわからず、だけど「すみませんでした」ってセリフを言いに来た子がいて、

私は何をしたらいいのかわからなかった。

 

辛い思いをしているだろうお母さんに、どんな言葉をかけたらいいのかわからなかった。

 

石を投げた子に、「あなたがしたことはいけないことなんだよ」って、その子が理解できるように説明してやることができなかった。

 

私が、お家の方にごめんなさいって言うことではない。

下校中のことで、学校に監督責任があるわけじゃないから。

 

でも、すみませんって思うのはなんでなんだろう。

 

「石を投げたのは、障害がある子だったんです」って伝えると、相手が何とも言えない表情をした。

お母さんに「大変ですね」って声をかけた。

 

そう、大変なんだと思う。「大変ですね」って言った言葉に、何の悪意もなかった。

 

だけど、その言葉を聞いたお母さんはどんな気持ちだったんだろうと思うと辛い。ものすごく。

その言葉は、きっと同情に聞こえるから。

 

障害がある子を育てるのは大変ですよねって。

 

だけど、当事者ではない人から向けられたその言葉は、まるで自分たちとあなたは違うからね、って違いを強調されるように聞こえる。

 

言葉を選ぶって難しい。

その場にふさわしくて、相手を傷つけずによりそう言葉って、すごく難しい。

 

いっそ、言葉なんてかけずに、その場に一緒にいることが大事だったのかもしれない。

 

「障害があるんだから、わからないんだから、何をしてもいいでしょ」なんていう開き直りはしない方がいいと思う。

そんなことしたら、障害があることが「普通の人」と違うっていうのを、自分たちで線引きして、歩み寄りやお互いを理解して暮らしていくことを拒否しているように感じるから。

 

だけど、もし、今回石を投げられたお家の人が、

「障害があっても関係ない、弁償だ!二度とうちの前を通るな!!」なんて冷たい対応をしていたら、

きっとお家の人は「そんなこと言われても、わからないんだから仕方ないでしょ…!!」っていう発想に至ってしまうかもしれない。

 

そう考えたら、やっぱり障害がある人たちが地域で暮らしていくには、本人の育ちも大事だけど周囲の理解も必要なんだと感じた。

 

共生社会の実現。

 

すごく理想的な言葉なんだけど、その実現をしていくためには地道な日々の努力がいる。

 

中学校で働いている1人として、これからの社会を作っていく子どもたちに伝えていくべきことがたくさんある。

 

まだ、何も伝えられていない。

 

自分にできることを1つずつ。

 

無力感を乗り越えて、1つずつやるしかないと思った。

 

がんばろう。