カウンセリングと愚痴聞き
カウンセリングと愚痴聞きは違うという記事を読んだことがあります。
今までいろいろな人と接してきました。
相手を理解し、人間関係をうまく構築できたら…と、カウンセリングの勉強をしました。
そして、相手の話を「聴く」ことが大切だと学び、相談に乗るときなどは、基本的に「聴く」ことを意識してきました。
その結果、多くの生徒や保護者と良好な関係を築くことができたと感じています。
しかし、相手の話をただ「聴く」だけでは何の進展もないケースに遭遇しました。
聴いても聴いても変わらない。
何時間時間を割いても、少し経つと元に戻る…。
そんな時、カウンセリングと愚痴聞きは違うという表記に出会い、「これか!」と思ったのです。
カウンセリングは、クライアントが自分の心と対話をする手助けをします。
受容的な態度も、カウンセラーの問いかけも、
クライアントが自分と向き合う手助けするものです。
どんな言葉をかけるのか、どんな態度、表情で対話をするのか。
その判断を、絶えず変化する相手との関係を見極め、感じ取りながら行い、
綱渡りをするような張り詰めた感覚を持ちながら、その緊張感を相手に悟られないように接します。
そして、そんなギリギリの駆け引きをしながら、相手が自分と向き合う場を
作っていく…。
そんな、自己と対話する場がカウンセリングの場だと感じています。
もちろん、上手くいかなかったケースでも、真剣に相手と話はしていました。
ですが、決定的に違うのは、話の方向がクライアント(今回の場合は保護者や生徒)に向かないことでした。
多くの場合、クライアントの話の内容は、「◯◯が悪い。」「◯◯をどうにかしてくれ」「先生のこんな態度がおかしい」という愚痴や相手への要求ばかりで、一向に自分の心に向き合う時間になりません。
結果として、変化を求められるのは周囲であって、クライアントは変化をしません。
何度時間をかけて話を聴いても事態が改善に向かないのは、
こんな理由があるのではないかと考えています。
私が今日こんな記事を書いているのは、
単に自分が気持ちの整理をしてストレスの発散をしたいからです…笑
愚痴聞きに付き合うことに疲れました。
なぜ教師が生徒や保護者の愚痴聞きに時間を取られなければいけないのか。
何の生産性もなく、時間の無駄だと感じでいます。
そんな愚痴聞きに、何時間も時間を取られるんです。
カウンセリングを受けたいのであれば、きちんとお金を払って
カウンセラーと話をしたらいい。
愚痴を聞いてもらってストレスを発散したいのであれば、
その相手は教師ではありません。
家族でも友達でも、身内に聞いてもらうべき内容です。
無料の愚痴聞き相手として教師を使わないでほしい。
そんな思いが募る今日この頃です。
おわり