【映画】こんな夜更けにバナナかよ
前から気になっていたこの映画を見た。
【こんな夜更けにバナナかよ】
実話を基にした映画で、
主人公は大泉洋さんが演じる鹿野靖明さん、34歳。
筋ジストロフィーを患っていて、体で動かせるのは首と手だけ。
24時間誰かの介助がないと生きていけない体だけど、
病院の中で生きるのではなく、
地域の中で自立生活を送ることを選んだ人。
たくさんのボランティアの人たちに囲まれて生活をしている。
タイトルの【こんな夜更けにバナナかよ】っていうのは、
映画の初めの方のシーンに出てくるエピソードで、
夜泊まりがけで鹿野さんの世話をするボランティアに対して、
「バナナ食べたい!買ってきて!」と言い放つ。
ボランティアを始めたてだった美咲ちゃん(高畑充希さん)は、
そんな鹿野さんに「わがままだ」と伝える。
・・・まぁここから色々とストーリーは続いていくんだけど、
ボランティアの人に対して、「わがまま」をいう鹿野さんの姿に、
私もちょっと反感を持った。
ありがとうの気持ちはないの!?
気遣いは!?
申し訳ないとか思わない!?
だけど、途中で鹿野さんがこういった。(要約)
「なんで遠慮しなくちゃいけないの?ここ、俺んちだよ?」
「自分の家の中で遠慮する人いる?」
あぁー、確かにって思っちゃった。
私は自分が好きな時に、好きなものを食べられる。
好きな動きができる。
好きなところに出かけられる。
でも、障害があって、自分の体を自分の力では動かせない人は、
そんな当たり前の自由が制限されている。
本人がのぞめば、その当たり前を保証するのが、大事なんだと思う。
でも、それって全然簡単なことじゃない。
実際、ボランティアはなかなか集まらないし、
本当なら国が福祉政策としてきちんとお金を出せたらいいんだろうけど、
そんな状況じゃなさそう。
普段、生徒と接する時に、「ありがとう」や「ごめんなさい」、
普段のあいさつを大事にしなさいって言ってる。
これって、将来就職したり、生活していて困った時に、
周りの人との関係が良好な方が支援を受けやすいから。
でも、これって、支援する側にとって、「支援しやすい人でいなさい」ってことなんだよね。
もちろん、障害がない人だって、
お互いに気遣いをしあって暮らしている。
乱暴でわがままな人よりは、優しい周りのために行動できる人が好かれる。
けど、違いは、「強い」人は、ある程度自分1人で、生きていけること。
「強い」人は、付き合う人を自分で選択できる。
一方で、障害がある人は社会的に「弱い」立場にある。
いろんな人に助けてもらわなければ、生きていくのが難しい。
選択肢が少ない。
本当に、それでいいのかな、と思った。
人を傷つけることは、障害があろうとなかろうと、ダメなこと。
だけど、自分の好きな時に好きなものを食べる、好きなことをするって、
誰にでも平等に与えられた権利なんじゃないかなと思った。