日常つぶやきブログ

誰かの役にたつわけでもなく、何かの知識が得られるわけでもありません。自分が日々感じたこと、考えたことをまとめる場所、記録しておく場所としてブログを始めました。

義務教育

教育基本法
第4条 (義務教育) 国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う。
2 国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない。

 

◎ 本条の趣旨
憲法第26条第2項の規定を受け、義務教育の年限を9年と定めるとともに、義務教育の無償の意味を国公立義務教育諸学校における授業料不徴収ということで明確にしたもの。
(関係法令)
憲法第26条第2項 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

○ 「九年の普通教育」
普通教育とは、通例、全国民に共通の、一般的・基礎的な、職業的・専門的でない教育を指すとされ、義務教育と密接な関連を有する概念である。
九年の具体的な内訳については、教育基本法は特に規定せず、学校教育法に委ねている。

○ 「義務を負う」
親には、憲法以前の自然権として親の教育権(教育の自由)が存在すると考えられているが、この義務教育は、国家的必要性とともに、このような親の教育権を補完し、また制限するものとして存在している。

 

文部科学省 教育基本法資料室へようこそ!

より引用

http://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/about/004/a004_04.htm

 

ここに記されているように、義務教育というのは、

「親」に課せられた「教育を受けさせる義務」なんですよね。

 

「生徒」が「教育を受けなければいけない義務」でもなければ、

「学校」が「教育を受けさせなければならない義務」でもない。

 

だから、生徒が学校に行きたくない、というのなら、

無理に行く必要はないと思うんです。

 

もちろん、学校として「いつでもおいで」「できたらおいで」

という姿勢を示す必要はあると思います。

 

でも、このご時世に「絶対に学校に来なさい」とは言わなくてもいいと思うし、

「お願いだから学校きてよ」と相手を説得する必要はないと思うんですよね。

 

いじめのように「来たい」けど「来れない」場合には、

生徒が安心して登校できるように環境を整えるのは学校の仕事だと思います。

 

でも、本人が「心的体験として」相手に嫌な気分にさせられていると感じているだけの場合、対応が難しい。

 

本人の認知の仕方が変わってくれるのが一番良いのですが、それもなかなか難しい。

 

こんな時、「なんとか学校が頑張るからさ、ちょっとでもいいから来てよ、あなたが嫌な思いをしないように頑張るからさ!!」と生徒によりそった風に対処することが正しいのでしょうか。

 

私はそうは思わないんですけどね。

 

時間がかかろうが相手がわめこうが、しばらく欠席が続こうが、

本人の気持ちが落ち着いて自分から学校に出てくるまで

様子を見たらいいと思うんです。

 

それが、本人の成長に、今後につながると思うんです。

 

なかなかこの考え方って一般的ではないのでしょうか。

 

いろんな考えがあって難しいです。

 

おわり